地域人が探究・教育やまちづくりを腹落ちさせるのに大切だったもの。
週末のNoMapsEDUで、“EDU”の使い方すら良く分かっていない私が、まなびまくり社の実践報告をすることになって、うろたえたのは言うまでもないんだけど、
話すことを整理していて感じたことを、備忘録として。
形になると判断されちゃうよね
形になるまではわかりにくく、一方で形になってしまうと、相手の好みで要不要が判断されてしまうこともあると思うのです。
探究教育やまちづくりも、そこに近い感じで、
私はまなびまくり社の“副代表”ではあるけど、この「肩書問わず」の集団においては、そんなの重要ではなくって、私はおそらくスキル一本勝負で、この活動に関わっています。
(もしかすると、どこにでもぬるりと刺されるけど、深く追わないキャラも役立っているのかもしれないけど。)
こんな拠点もお金も持っていない私が、フリーランスとして、地域人として、この活動が未来につながる妄想をし続けられているのは、きっと、4年前に【ウォーカブル】と言うフレーズで、
【移動手段があっても、移動先がないと役に立たない。目的が無いと人は動かない】ってのを知ったからです。
そこに、高校生の「食べ歩き文化をつくりたい」と言うのが、とってもマッチしていて、しっくりしていて、ここに自分がいる効果効能はわからないけど、面白いこの活動に参画しています。
これを
【都市の屋外公共空間における滞留行動に対する人的 要素…云々】
(引用させていただきました。)
と説明を聞いても、まちづくりや探究教育が相乗効果をもたらすことが分からないし、自分に関われるとも微塵も思わないものです。
outputが盛大になればなるほど、地域の人が遠ざかっていく可能性もあるなって、今回の頭の整理で感じたので、
初心忘るべからず。と初心を思い出したのでした。
気になるけど、何をしているのか、何をしたいのかわからない。むしろ、意味があるとが思えない。と言う、平凡な大人がいたら、一緒に話しましょう★
私も正解はわかりませんが(笑)
私は今期の最終回「会場への道に迷った大人を高校生が迎えに行く」と言うエピソードが大好きです。
きっと、もしも、そこに、自走期間のoutputがなかったとしても、伴走者としての繋がりが続いていって、いつか大人同士の新しい距離感になる可能性を秘めているんだろうなと感じたから。
ローマは1日にしてならず。
今朝はゆるりと
と、今日は備忘録として、独り言でした。
いつも、子どもたちの聞く激しい音楽が流れているので、原田知世のカバーアルバムがなんとも心地よい朝、20分後に出発のつもりが、20分後に出会っている風な返事だった、夫のピンチを救ったので、朝のライブ配信はありませんでした。
私的にはパソコン忘れるって、ランドセル忘れるばりなんだけどね。
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